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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)3172号 判決

原告

丸元住宅株式会社

右代表者代表取締役

大西元徳

右訴訟代理人弁護士

大園重信

田中等

被告

辻伸一

右訴訟代理人弁護士

天野勝介

中島健仁

八代紀彦

西垣立也

佐伯照道

辰野久夫

主文

一  被告は原告に対し、一五五〇万円及びこれに対する昭和六〇年五月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、八〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年五月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は不動産の建築、管理及び売買等を業とする株式会社であり、被告は藤井寺市において「辻登記測量事務所」の名称で司法書士事務所を開設している者である。

2  本件事件の発生と損害

(一) 原告は、江川不動産こと訴外江川裕弘(以下「江川」という)から、昭和六〇年二月二日、藤井寺市春日ケ丘二丁目一二八五番一宅地二三六〇・三三平方メートル(以下「本件土地」という)が売りに出されているとの話を持ち込まれた。

(二) 原告は、その後、本件土地の不動産登記簿謄本を取り寄せるなどして検討した結果、本件土地を購入する方向で商談を進めることとし、同月六日、本件土地の売主側の不動産業者である訴外北陽物産株式会社(以下「北陽物産」という)事務所において、同社代表者奥村久伊知(以下「奥村」という)及び同じく売主側の不動産業者である訴外正和不動産株式会社代表者樋上實(以下「樋上」という)らと話し合い、原告が本件土地を購入する場合の代金は五三万円とすることになつた。

(三) 原告は北陽物産との間に、同月七日、原告が売買契約締結時に、売買代金の内金として二億二〇〇〇万円を訴外芝辻四郎(以下「芝辻」という)に対して支払い、本件土地の所有権移転登記につき、その所有者である訴外奥田俊行(以下「奥田」という)が芝辻に対し、売買を原因とする所有権移転登記をなし、次いで芝辻が原告に対し、売買を原因として所有権移転登記をする旨の了解に達した。

(四) 原告は芝辻との間に、同月八日、本件土地の売買契約を締結し、又芝辻は奥田との間にも本件土地売買契約を結んだ。そして奥田から芝辻、そして芝辻から原告への各所有権移転登記申請が大阪法務局古市出張所において受付けられたことを確認した後、芝辻に対し、本件土地売買代金内金二億二〇〇〇万円を江川外二名に対し、不動産仲介報酬金三〇〇万円をそれぞれ支払つた。また原告は被告に対しても登記費用五五〇万円を支払つた。

(五) ところが、同月九日になり、奥田が禁治産宣告を受けている上、奥田又はその後見人は、本件土地を売却したことがなく、かつ芝辻との間に売買契約を締結した奥田と称する人物も、奥田本人とは全く別の者であること、さらには本件土地の所有権移転登記申請に際して添付された奥田の登記済証及び印鑑登録証明書は偽造であることが判明した。

(六) このため、原告は本件土地の所有権を取得することができず、かつ支払済みの前記金員合計二億二八五〇万円の損害を被つた。もつとも、原告はこれまでに芝辻、江川らから四七一六万円の支払いを受けているので残存する損害は一億八一三四万円である。

3  原告、被告間における調査の委任

(一) 原告は、本件土地の所有者である奥田の行為能力について調査の必要があるものと考え、被告に対し同月六日夜、奥田の行為能力の有無に関する調査をするよう申し入れ、同時に本件土地取引に関する法的問題、価格等の取引条件の問題、登記手続の調査などについても教示又は調査を依頼し、被告はこれを受任した。

(二) 仮に然らずとするも、原告は被告に対し、同月七日、売主である奥田の戸籍謄本を取り寄せるなどして奥田の行為能力の有無につき調査をなすよう依頼し、被告はこれを受任した。

(三) ところが、被告は、右委任に基づいて自ら右の調査をなさず、漫然と事務員に委ねていたため、事務員が何らの調査もなさなかつた。その上、右事務員は、同月八日、芝辻、奥村、江川らが持参した偽造の奥田の戸籍謄本(禁治産宣告の記載がなく、奥田の生年月日が一〇年遡つているもの)を軽信して、奥田の行為能力については問題がない旨回答した。原告は、この回答により本件契約をなし、かつその代金等を支払つたものである。

4  登記申請添付書類の真否についての調査上の過失

(一) 原告は被告に対し、同月六日夜、本件土地所有権移転登記申請手続を委任した。

(二) 本件の登記申請に用いられた偽造の登記済証は、偽造にかかるものであることが一見して明白であるにもかかわらず、被告及びその事務員はこれを看過した。

(1) 相続人の住所について

右登記済証には、相続人たる奥田の住所として「大阪市羽曳野南恵我之荘」と記載されているが、右住所は現存しない住所である。即ち、相続を原因とする所有権移転登記には添付書類として住所証明書が必要であるところ、奥田が相続による所有権移転登記をなす際には、登記官によつて登記申請書記載の相続人の住所と住所証明書(住民票の写)との照合がなされ、住民票記載と相違する右のような現存しない住所での申請は却下される相続を原因とする登記済証は登記申請書の副本であるから、その副本と同一記載がなされているべき現存しない住所の登記申請書正本が法務局で受付けられる訳がない。従つて、右登記済証は一見して真正な登記済証でないことが明らかである。

本件土地の所有権を奥田から芝辻に移転登記するについては、売主たる奥田の登記済証が必要である。司法書士としては、提出された登記済証が本件土地の所有権移転登記に必要な登記済証かどうかを確認するにつき、提出された登記済証の、不動産の表示、受付番号、登記権利者などの表示が登記簿上のものと符合しているかどうかを調査するのであるが、その際に登記権利者を特定するためにその住所の照合が行なわれなければならないはずである。本件で、被告事務員は右の照合を不注意にも怠つたため、提出された登記済証が明らかに偽造のものでありながら、その偽造であることを看過した。

(2) 表示された司法書士について

右登記済証の表紙には、登記申請をなした司法書士の氏名が表示されているが、右司法書士は架空であり、実在しないにもかかわらず、被告はこれを看過した。

(3) 不動産の表示

右登記済証の不動産の表示には、「番地 千弐百八拾五番ノ壱」と記載されている。まず「番地」と記載されているが、法的に要求されている表示は「地番」である。司法書士がこのような稚拙な誤りを犯すとは考えられない。次に、「千弐百八拾五番ノ壱」と記載されているが「ノ」は不要であり誤まつた表示である。右は非常に初歩的な誤りである。さらに司法書士が通常行なつている不動産の表示の方法は「藤井寺市春日丘弐丁目壱弐八五番壱 宅地 弐参六〇・参参平方メートル」とするもので、わざわざ、「所在」「地番」(本件では誤まつて番地と書いてあるが)、「地目」、「地積」などという言葉を入れない。地番の表示の仕方も「壱弐八五番壱」という表示方法をとるのが通常である。

(4) 登録免許税

右登記済証は相続を原因とする所有権移転登記であるから、登録免許税は課税価格の六パーセントと定められている。記載された課税価格「六千七百五拾壱万円」を基準とすれば、その登録免許税は四〇万五〇〇〇円であるから、右登記済証記載の「四百五万壱千円」は全く偽物であることが概数を暗算するだけでも明らかである。

(5) 登記済印の印影

右登記済証は昭和五二年一〇月六日申請の登記済証であるから、真正な登記済証と照合すれば法務局の印影が全く異なつていることが明白である。即ち、被告は、数十年に亘り、司法書士として登記手続を業務として行なつており、しかもそのほとんどが本件右印影が問題となつている大阪法務局古市出張所管内のものばかりである。従つて毎日のように右出張所の印影(登記済印と公印)を見て、調査、確認業務を繰り返して来たのであるから、右登記済証の申請年月日より考慮すると、当時の古市出張所の印影と全く異なつていることに直ちに気づいたはずである。通常気がつかない事柄であつても、長年に亘つて右出張所の印影を毎日、何回も見て、調査、確認をしてきた司法書士は一見すればその偽造が判明する。本件では、被告自身が本件登記手続をなしていれば、右印影の点に当然気づいた事案であるにもかかわらず、被告が漫然と、無資格の事務員に登記手続を放任していたため、右登記済証の印影の確認義務を怠つた。

(6) 抵当権の登記済印について

右登記済証の末尾印影のうち下部に存する抵当権の登記済印並びに抵当権設定の文字印及び抹消登記済の文字印の三つは、理論上存在する筈のない印影である。即ち、抵当権設定登記を申請するためには、当該不動産所有者が登記義務者となるためその登記申請意思の真正を担保するために、所有者の所有権登記済証の添付が必要である。そして法務局に提出された右所有権登記済証に、法務局は抵当権の登記済印並びに抵当権設定の文字印を押捺して所有者に返還するのである。従つて、本件土地の登記簿謄本の乙区壱番のように抵当権設定登記が存する不動産の所有権登記済証には、抵当権の登記済印並びに抵当権設定の文字印が存するのが当然のように一応考えられる。おそらく本件偽造グループも右のように考えて、右印をわざわざ作出したものであろう。しかし、当該不動産の抵当権者が官公署である場合の抵当権設定登記の申請には、前述の所有者の所有権登記済証の添付が必要でなく(不動産登記法三一条及び昭和三三年五月一日民事甲八九三号民事局長心得通達)、従つて本件不動産に存する乙区一番の抵当権者を大蔵省とする抵当権設定登記の申請には所有者奥田の所有権登記済証を法務局に提出する必要がなく、そのため、抵当権の登記済印並びに抵当権設定の文字印は元来押捺されているはずのないものである。右二つの印が所有者奥田の所有権登記済証に存することは、ありえない。右は司法書士であれば勿論知つているもので、一見すれば気付く簡易、明白な事柄である上に本件でも被告事務員は右事実に気付いていながら漫然と手続を進めたところに注意義務違反が存する。

(三) 被告は原告から、売主の意思を確認するために、売主側より提出された登記済証、印鑑登録証明書の成立の真否について特に調査を委ねられていた。

仮に然らずとするも、被告は、原告から右の登記申請手続を受任するにあたり、委任者たる原告より本件取引が売主の意思確認をできない売買であることを知らされていた上に、原告から奥田の行為能力につき調査を依頼され、かつ自宅の至近距離の物件に関することで売主が精神異常者であることを十分知悉していたことなどの事情の下では、被告は、単に必要書類について形式的な審査をなすのみでなく、売主の正しい売却の意思の真正を担保するために添付が要求されている登記済証及び印鑑登録証明書等の書類につき慎重に検討することによつて、登記手続に過誤なからしめるよう万全の注意を払うべき義務があり、この調査確認義務を怠つた過失によつて生じた委任者の損害については、その責めを負うべきである。

5  売主の意思確認義務上の過失

(一) 原告は被告に対し、同月六日夜、本件土地所有権移転登記申請手続を委任した。

(二) 被告は、司法書士として正しい登記をするため、当事者及びその登記意思の確認をなすべき注意義務がある。ことに本件では、原告専務大西喜信(以下「大西」という)が本件土地の購入を決めていない段階でわざわざ被告の自宅を訪れ、入院中の被告に電話して、本件土地及び売主について相談し、調査を依頼している上に、被告は、本件土地から約五〇メートルの至近距離に住居を持ち、かつ奥田は行為能力に問題があり本件土地の管理者までが存在していることを具体的に知悉し、自称奥田の信憑性及び行為能力について否定的な疑問を有していたのであるから、このような場合、原告に対して、過誤なく取引を行ない登記の移転を受けられるよう示唆し、かつ自ら又は事務員に命じて売主たる当事者及びその意思の確認を通常の場合以上に慎重にし、又行為能力の調査をなすべき注意義務がある。しかるに被告は右の必要な調査をなさず慢然と所有権移転登記手続の委任を受けて、その登記手続をなしたものである。

6  因果関係

原告は、被告の前記各注意義務又は調査義務の不履行により、第2項(六)記載の損害を被つた。

7  よつて、原告は被告に対し、

(一) 行為能力の調査及び登記申請の委任契約又はその付随的債務に基づく善管注意義務違反に基づいて

(二) 原、被告間における相手方の生命、財産を特に保証する義務、いわゆる保護義務の違反に基づいて

(三) 民法七〇九条又は七一五条の不法行為に基づいて

損害賠償金一億八一三四万円の内金八〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日である昭和六〇年五月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2(一)  同2(一)ないし(三)は不知。

(二)  同2(四)は認める。しかし、芝辻及び江川外二名に対して支払つた具体的な金額については不知。

(三)  同2(五)、(六)は不知。

3(一)  同3(一)は否認する。

本件の経過は次のとおりである。即ち、昭和六〇年二月六日午後八時ころ、被告事務所に江川及び大西が来所した。被告は昭和六〇年二月二日から一三日まで、腹膜炎のため、吹田市江坂所在の井上病院に入院していたので、被告事務所職員森下文雄(以下「森下」という)が応待した。大西からの質問は物件の所有権移転登記をAからB、BからCと二回つづけて移転させる手続を一回でできるかという趣旨のものであつた。森下は、右移転登記は可能であるが、登録印紙税が多額となるので、中間省略登記をするのが通常であると返答した。大西は本件土地の売買につき、売主奥田から仲介業者芝辻を経由して原告会社へ移転させる必要があると説明したので、森下は、本件土地については被告に問い合わせることとした。

被告は、大西の問い合わせに対し、①本件物件は二・三年前に坪八〇万円で弁護士を経由して売出されたが、最終的に売主が断つたこと、②売主の一族は名門で、安く売る理由はないこと、③売主には行為能力に問題があるとのうわさがあり、財産は羽曳野市恵我之荘在住の売主の甥が管理していることを伝え、以上の点から売主が第三者に委任して本件七〇〇坪の土地を四億円という安値で売りに出す理由がないので、被告としては同意できない旨の返答をし、慎重に対処するための時間かせぎとして「七〇〇坪の売買であれば、府の開発行為及び国土法にかかる為、右許可後に取引をすればどうか」と進言した。右進言に対し、「分筆して二者以上で買い入れる」と返答したので「それならば手金だけ支払つて、明示分筆を売主側でやつてもらい時間をかせげ。」と進言したところ、大西は、「仲介人芝辻に対する委任期限が切れるので二・三日中に取引する必要がある。とりあえず二億二千万を支払うつもりである。」と返答した。そこで被告は、「もしその値段で本件土地が購入できれば良い買物である。相手が恵我之荘の奥田本人であればだます人ではない。」と伝えた。ところが専務は「売り主が気難しい人で、確認をすると一切売つてもらえなくなると仲介業者から聞いているので、売り主の確認はできない。」と言うので、被告は「それでもどうしても買いたいのであれば、原告の危険でやりなさい。」と言つて電話を切つたのである。

(二)  同3(二)は否認する。

大西は、同月七日午後四時ころ、被告事務所に来所し、森下に対し「売主に禁治産の疑いがあるから戸籍を上げてくれ」と要求した。しかしこの時点では、奥田の住所、本籍地等が不明であつたので、北陽物産が書類を持つて来所してから戸籍謄本をとることにした。ところが、その後まもなく北陽物産から被告事務所に電話が入り、大西が電話で売主の行為能力について北陽物産に問い合わせていた。北陽物産からの回答は「売主の奥田は禁治産者ではない。戸籍謄本もある」とのことであつた。その後芝辻、北陽物産等の仲介業者が来所した。森下は売主奥田の戸籍謄本を見せられ、禁治産宣告の記載のないことを確認し、続いて住民票によつて住所変更のなされていることを確認した。

右のとおり、森下は仲介業者持参の戸籍謄本を大西からみせられ、行為能力に問題はないかとの質問を受けたにすぎない。

(三)  同3(三)は否認する。

(1) 仮に森下がいつたんは大西から奥田の戸籍謄本をあげるべき事務の委任をうけていたとしても、森下が、芝辻ら持参の戸籍謄本を確認する旨大西から言われ、禁治産の記載のないことを確認した段階で委任事務は終了しているものと言わなければならない。

(2) 右偽造戸籍謄本も一見して明白に偽造と判る書面ではない。奥田の出生年月日の「拾」の文字の上に若干の余白があつたとしても、決して不自然ではなく、また俊行の母つね子の出生年月日が大正七年一二月四日であり、つね子と俊行の年齢差が一八才であることも通常よくあることである。藤井寺市長印があり、契印にかわる刻印も正確に押されている以上、右事情をもつて偽造文書であると気付けという方が無理である。

(3) そしてなによりも奥田の印鑑証明が提出されているのである。禁治産者であれば印鑑証明があるはずはないのであるから奥田名義の印鑑証明の存在をもつて奥田の行為能力に問題なしと判断することは当然である。

(4) 仮に、被告が原告から奥田の行為能力調査を依頼され、あるいは被告に奥田の行為能力調査をする義務が何らかのかたちで発生していたとしても、被告は右義務を尽したものであつて、被告に何ら注意義務違反はないものである。

4(一)  同4(一)のうち、原告が被告に対し、本件土地所有権移転登記手続申請をなすことを委任したことは認めるがその余は否認する。

(二)  同4(二)は否認する。

(1) 原告の主張する住所表示の記載は真正の書面でも存在しうる誤記であり、書面の真正を確認するにつき、重きをなす部分ではなく、右誤記を見過したからといつて一見明白な偽造文書を過失により見過ごしたことにはならない。

(2) 偽造登記済証表紙記載の司法書士が実在しないことは、一見して判明しうる事柄ではない。

(3) 原告は「地番」と表示すべきところを「番地」と表示していることを指摘する。しかし、登記済証における本質部分はその下に書かれた「千弐百八拾五番ノ壱」と書かれた部分である。そしてこの部分が登記簿謄本と合致していることが重要である。また、「千弐百八拾五番ノ壱」の「ノ」の部分が片かなであることなどもいずれも些細なことであり、これをもつて一見明白に偽造な文書であるとはいえない。

(4) 登録免許税の表示が一桁間違つていることも些細なことであり、重要な問題ではない。

(5) 登記済印の印影については、大阪法務局古市出張所の登記官さえ真正な印と誤解した印であつて、これを司法書士に見抜けというのは不可能を強いることである。

(6) 抵当権の登記済印等が元来押捺されているはずのないものであつても、通常あつて然るべきものが例外的になくとも良い場合であるから、一見して明白に偽造のものとはいえない。

(三)  同4(三)は否認する

仮に、被告に登記済証をより注意して精査すべき注意義務があつたとしても、本件ではベテランの登記官ですら看破ることのできなかつた偽造文書である。従つて、右登記済証は、相当の注意をもつてしても、偽造が判明する書面ではない。

5(一)  同5(一)は、同4(一)に対する認否に同じ。

(二)  同5(二)は否認する。

被告には、原告の連れて来た自称奥田が奥田本人かどうか確認する義務は生じていないし、被告事務員は自称奥田持参の印鑑登録証明書によつて確認を行なつており、その義務は果たしている。

6  同6は否認する。

7  同7は争う。

三  抗弁

被告は原告から、本件土地の取引を慎重に運ぶよう忠告を受けていたにもかかわらず、奥田が気難しい人物であるとの芝辻らの虚言をそのまま軽信した上、匿名で奥田に電話するなどの手段を購じれば容易に本人確認が可能であるのにこれらの調査をなさず、売買を急いだため、前記の損害を被つたものであるから、原告には過失がある。

四  抗弁に対する認否

抗弁は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1は当事者間に争いがない。

二本件事件の経緯

原告が芝辻との間に、昭和六〇年二月八日、本件土地の売買契約を締結し、芝辻も奥田との間に本件土地売買契約を結んだこと、本件土地の原告に対する所有権移転登記手続の申請が登記所に受付けられたことを確認した後、芝辻に対し売買代金内金を、江川外二名に対し不動産仲介報酬金を支払つたこと、被告に対しても登記費用五五〇万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、右事実に、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和三六年一二月設立にかかる資本金一六二〇万円、年商約六億円の会社であるところ、昭和六〇年二月二日、不動産仲介業の江川から、本件土地が坪当たり五五万円で本件土地が売り出されているという話を持ち込まれた。そして現地調査、開発計画などの検討の結果、本件土地が藤井寺市内の一等地であつて十分採算のとれる優良宅地であると判断し、積極的に進行させることとした。

2  原告側において本件の取引を主に担当していた大西は、同月五日、登記簿謄本の交付を受け本件土地の所有者が奥田であることを知り、かつそのころ原告の買付証明に対する売主側の解答書により、本件土地の売主側の仲介人として、江川の外、北陽物産及び樋上が入つていることを知つた。

3  大西は、仲介人たる北陽物産の信用も確認するため、同月六日午後六時ころ、江川の案内で吹田市江坂にある北陽物産事務所へ赴き、北陽物産代表取締役の奥村らと本件取引について話し合い、同人らから、本件土地の売主は奥田であるが、奥田は気難しく表面に出たがらないこと、その代理人である芝辻が交渉の相手であることを聞かされた。この会合の結果、当事者間において、本件土地を奥田が芝辻に売買し、これを原告が芝辻から坪当たり五三万円で買い受けること、その代金の内金二億二〇〇〇万円を先払いし、残金は測量後の清算とすることが了解された。

4  取引が順調に運び、かえつて不安を感じた大西は、同日八時半ころ、原告の不動産取引の登記申請についてはほぼ一手に委ねている被告に相談するために、被告の自宅を訪れた。ところが、被告は腹膜炎のため吹田市江坂所在の井上病院に入院中であつたので、家人に電話をしてもらい、本件取引について説明した。被告は、まず相手方仲介人である北陽物産につき名前は聞いたことがあるが、内容は知らないと答え、本件土地については以前精神病者が居住していたという噂があり、所有者の甥が管理しているのでよく調査した方が良いこと、特に所有者の奥田は本件のような安い価格で売りに出すような理由がないことを伝え、慎重に対処するように忠告した。しかし、大西は本件土地が格安の優良宅地であつた上、仲介人らの仲介権限の期限が切迫していると告げられており、又他の業者に本件土地が渡るのを危惧して、取引を急いでいた。そして江川ら仲介業者に対する気兼ねもあつて、それ以上本人確認の処置をとることはしなかつた。一方、被告もその知識から奥田以外の第三者が取引に介在しているのではないかとの強い懸念を抱いたが、入院加療中のため原告事務所へ連絡することはなかつた。

5  大西は、翌七日、被告事務員森下に対し、本件土地売買について国土法の制限にかからないようにするため、分筆手続及びその測量等の準備を依頼した。しかし、その後結局分筆はしないでとりあえずそのまま所有権移転登記手続をすることになつた。次いで、大西は、同日午後三時ころ、森下に対し「土地所有者の奥田が禁治産者ではないか調べてほしい」と依頼した。ところがその場で、北陽物産の奥村から大西への電話があつたが架け直すようにとの伝言を受けて、大西が直ちに奥村のいる喫茶店に電話し、「奥田が禁治産者ではないか」との疑念を示したところ、奥村は「ここに奥田の戸籍謄本があるのでこれからそちらに持つて行きます。」と回答した。その二〇分程後、奥村の外、芝辻、芝辻の仲介人と称する訴外中野博、同城下賢二が被告事務所を訪れ、奥田の戸籍謄本を示した。大西はこれを一覧して禁治産宣告の記載のないことを確認し、同席した森下に渡した。森下はこれを検討したが禁治産宣告の記載がなく、不審点を見出すことがなかつたので「これでしたら大丈夫です」と答えた。しかし、右戸籍謄本は芝辻らにより巧妙に偽造された虚偽のものであつた。大西は、奥田の行為能力についての疑いが解けたので用意した契約書を示し、翌八日に登記申請と内金の支払いがなされることが同意された。このとき大西は、奥田からいつたん芝辻へ所有権移転登記をし、その後に原告に対して所有権移転登記をなすことについて不審を持ち、芝辻に問いただしたが、芝辻から税金対策である旨の簡単な説明を受けただけで深く追求することはしなかつた。尚、大西は森下に対して、奥村の行為能力に関する調査を続行するようにとの指示をなすことはなかつた。

6  大西は、同月八日午前九時半ころ、被告事務所へ赴き、芝辻と前記中野博の外に、奥田と称する五五歳くらいの男性に会つた。大西は、奥田と会うのは始めてであつたが、仲介業者である江川らを信用していたので奥田の本人確認について特段の注意を払わなかつた。大西は、奥田から偽造にかかる登記済証、印鑑登録証明書の交付を受けて、これを被告事務員岡仁司(以下「岡」という)に手渡した。岡は、自称奥田らに委任状及び売渡証書に署名捺印をさせ、右印影と印鑑登録証明書の印影を照合し、右登記済証の記載事項と本件土地登記簿謄本の甲区欄の記載とを確認した。岡は、右登記済証等が偽造であることに気付かず、奥田の藤井寺市から大阪市住吉区への住所移転(これも虚偽であつたが)による登記名義人表示変更、奥田から芝辻への所有権移転、芝辻から原告への所有権移転の各登記の申請書類等をそろえて、大阪法務局古市出張所へ提出した。また同日、岡は大西から登記費用及び手数料として一一〇万円の預託を受けた。

7  大西は、岡から右各登記申請が受付けられたことを確認した上で、原告事務所において、芝辻に対し、本件土地売買代金内金二億二〇〇〇万円から立替払いした登記費用等五六〇万円を控除して二億一三四〇万円を支払い、また仲介人である江川、樋上、北陽物産に対しても各一〇〇万円を謝礼金として支払つた。

8  原告ら申請にかかる本件の各登記手続はいずれも前記古市出張所係官の調査を経たが、右係官らは、奥田の登記済証、印鑑登録証明書が偽造であることを看破れず、登記手続は完了した。

9  ところが同月九日、原告は取引先の第一勧業銀行から奥田は精神病で入院中であり、本件土地を売つたことはない旨の連絡を受けた。調査の結果、奥田は禁治産者であつて、その後見人はもとより奥田本人も本件土地を売買したことはなく、奥田を自称した人物は替え玉で、登記済証、奥田の印鑑登録証明書、住民票は偽造であることが判明し、よつて、原告は本件土地の所有権を取得することができなかつた。

以上の事実を認めることができ〈る。〉

三原告、被告間の調査委任

1  原告は、被告に対して同月六日、奥田の行為能力の調査を申入れ、かつ本件土地の取引に関する法的問題、価格等の取引条件の問題、登記手続の調査などについて、教示、調査を委任したと主張する。しかし、前記認定の事実によれば、大西は、同日本件取引の相談のため、被告の自宅を訪れたが、被告が入院中のために電話で取引を話し、これに対し、被告は北陽物産及び本件土地所有者に関しての知識を伝えたのみというものであつて、この時点では、取引に関する情報収集の域にとどまるものであるから、原告の右主張は採用しえない。

2  ところで、前記認定の事実によれば、大西は、同月七日午後三時ころ、被告事務所において、森下に対し「土地所有者の奥田が禁治産者ではないか調べてほしい」旨依頼したことが認められる。従つて、この時点において、原告、被告間には、奥田の行為能力調査に関する準委任契約が成立したというべきである。

3  しかしながら、他方前記認定の事実によれば、右の調査依頼をなした直後、大西が本件取引の売主側の仲介人である奥村に対し、電話で奥田の行為能力を確認したところ、奥田らが偽造の戸籍謄本を持参したというのであり、そして森下は大西から右偽造戸籍謄本をみせられ、これを検討した結果、奥田の行為能力には問題がないと判断したことが認められる。

ところで、〈証拠〉によれば、右の偽造にかかる戸籍謄本は、真正な戸籍謄本の一部分を抹消して複写し作成したものと思われるが、真正な謄本に比較すると、奥田の生年月日の表示が、真正なものは「昭和弐拾年五月弐拾四日」であるのに対し、偽造のものは、「昭和拾年五月弐拾四日」であつて「昭和」と「拾」の間に若干の空白があること、そして奥田の父母の婚姻の日が昭和二〇年一二月二〇日であって偽造戸籍の奥田の出生日は通常ありえないことが認められる。しかし、〈証拠〉によれば、その他の記載は真正な戸籍謄本と同一で、極めて精緻巧妙な偽造であることが認められるのであるから、前記の程度の齟齬、不整では、一見して不審の念を起こさせるものではないのみならず、司法書士がその職務において要求される相当の注意を払つても、これを偽造であると看破することは困難であると判断される。

しかも、森下としては、大西から禁治産宣告の有無を調査するよう頼まれたにすぎず、奥村持参の戸籍謄本の真正を疑わしめる何らの事情も示されず、その後は大西から奥田の行為能力について何らの疑念が表明されたわけではなく、又調査の続行が指示されたこともないのであるから、さらに自ら戸籍謄本を閲覧して検討しなければならないとまでいうことは酷であろう。

以上のとおりの事情の下では、森下は、原告の依頼にかかる行為能力調査についての義務を尽くしたものというべきであるから、原告の主張は理由がない。

四登記申請添付書類の真否の調査上の過失

1 原告が被告に対し、本件土地所有権移転登記申請をなすことを委任したことは当事者間に争いがなく、前記二認定の事実によれば、大西は、昭和六〇年二月七日、奥村ら持参の偽造の戸籍謄本により売主の行為能力についての疑いを解消し、森下の同席する場において、芝辻らとの間に、翌八日に本件土地の所有権移転登記をなすことを合意したことが認められるところ、右申請は被告に委任することが当然のこととして了解されていたというべきであるから、遅くともこの時点で、原告、被告間の右登記申請に関する委任契約が結ばれたと認めることができる。

2  ところで、司法書士は、登記又は供託に関する手続について代理し、裁判所、検察庁又は法務局若しくは地方法務局に提出する書類を作成すること等を業とする者であるが、その業務が登記、供託及び訴訟等に関する手続の円滑な実施に資することにより、国民の権利保全に寄与するという重要な公共的性格を帯有するものであるところから、法は司法書士に対し、業務に関する法令及び実務に精通して公正かつ誠実にその業務を行うことを要求し(司法書士法第一条の二)、その資格を厳しく制限する一方で、前記業務に関してはほぼ独占的な地位を付与しているのである。そして、司法書士が他人の嘱託を受けて登記申請書類を作成し、その申請行為を代行する業務を行う場合、第一次的に要請される職責が、当事者間において授受された登記の原因証書その他関係書類について、その記載内容や印影相互の対照をなすなどして有効な登記が経由できるか否かを審査することにあることは勿論であるが、前記のような司法書士の有する公共的性格に鑑みれば、当該書面を形式的に調査することでその職責が全うされるものと解することは許されず、嘱託人から呈示された関係書類の真否についても注意を払い、もつて真正な登記の実現に協力すべきであるということができる。殊に依頼者から関係書類の真否について調査を依頼された場合及び関係書類の偽造を疑しめるに足りる相当の理由を司法書士が有する場合には、かかる特段の事情のない通常の場合以上に関係書類を仔細に検討し、或いはその結果必要に応じてその他の調査をなすなどしてその真偽を確認する注意義務があると解される。

3  そこで本件について検討するに、前記二認定の事実によれば、大西は、本件土地の購入決定の以前に、被告の意見を聴取するため、わざわざ被告の自宅を訪問し、さらに入院中の被告に電話をしてもらい本件取引を相談しているのであり、しかも〈証拠〉によれば、被告は、大西が被告自宅を訪問するようなことはこれまでなく、原告にとつて重要かつ緊急の用件であることを理解し、その相談内容からは大西においても本件取引に不安を抱いていることを推察していたことが認められる。そして、前記二認定の事実に〈証拠〉を総合すると、被告は、本件土地に精神病者が居住しているという噂があること、所有者奥田の甥が本件土地を管理していること、本件土地が、昭和五七・八年ころ、一度坪当たり八〇万円程度で売りに出されたことがあるが、奥田側の弁護士において売買を断つたこと、さらには奥田の一族は住友系列会社の役員が多く、本件のように坪五三万円というような安い価格で売却する理由がないことなど、本件土地及びその所有者たる奥田に関して具体的事実をかなり詳細に知つていたのであり、これらの知識から奥田以外の第三者が介在して売買を進めているのではないかとの懸念までも強く抱いていたことが認められる。

以上の事情を総合すると、司法書士たる被告としては、右知識とこれまでの経験に照らして、奥田以外の無権利者が取引に介入し、取引の相手方たる原告を欺罔するため、本件登記申請にかかる関係書類を偽造又は変造しているのではないかとの疑念を持ち得た場合というべきであるから、登記申請にかかる添付書類特に登記済証については一層慎重に調査吟味すべきであるということができる。

ところで、〈証拠〉によれば、被告は、前記のような懸念を強く持ち、本件取引の真偽について心配していたとはいうものの、当時腹膜炎で入院加療中であつたために、右の心配を被告事務員らに伝えることができなかつたと供述する。その点では、本件は被告にとつても誠に不幸な事件であつたといわなければならないが、〈証拠〉によれば、被告は入院中とはいえ、その妻が付添つていたこと、病室には電話が設置され、少なくとも外部からかかつて来た電話は取次いでもらえたこと、被告は原告が取引を急いでおり、仲介業者の権限の消滅前である二・三日中に手続を完了させるつもりであることを知つていたこと、原告の登記の代行はほとんどが被告事務所で行われていたために本件の登記についても被告事務所に委任されるであろうと理解していたことが認められ、従つて、付添人等を介して早急に連絡をとることは可能であるし、又外部から被告に架電するよう依頼することもさして困難であるとは認めがたいのであるから、未だ前記の結論を左右するものではない。

4  よつて、右のような事情の下で専門的知識を有する司法書士に要請される注意義務を尽くせば、本件登記申請に際して、岡が呈示された登記済証につき、偽造であることを看破しえたか否かにつき検討する。

(一)  相続人の住所について

〈証拠〉によれば、本件の偽造登記済証における登記権利者の住所は、真実の住所が「大阪府羽曳野市南恵我之荘一丁目二番四号」であるのに、「大阪市羽曳野南恵我之荘一丁目二番四号」となつていることが認められ、〈証拠〉によれば、岡は登記済証を受取つたとき、この点について気付かなかつたことが認められる。そして、相続を原因とする所有権移転登記申請において添付書類として住所証明書が必要であり、奥田が相続を原因として所有権移転登記をなす際には、登記官が登記申請書(その副本により作成される登記済証も同様)記載の相続人の住所と住所証明書とを照合し、現在しない住所での登記申請は却下されることは原告主張のとおりである。

他方、〈証拠〉によれば、真正な登記済証の中にも明白な誤記の存するものがあること、そのような場合に司法書士は誤記をそのままとして登記申請をなすことが多いことが認められ、右事実に照らせば、前記の程度の齟齬では一見して偽造が明白であるとはいいがたいであろう。しかしながら、このような誤記が登記手続上排除されるはずであり、真正な登記済証に存在することが稀であることも明らかであるから、この存在が偽造を疑しめる判断材料の一つとなることは否めない。

(二)  司法書士の架空性について

〈証拠〉によれば、偽造登記済証の表紙に記載された司法書士が架空であることが認められるが、このことをもつて一見して明白に偽造が判明するとはいえないし、相当の注意義務をもつて吟味したとしても看破しえるものでもない。

(三)  不動産の表示について

〈証拠〉によれば、偽造登記済証の不動産の表示が「番地 千弐百八拾五番ノ壱」となつていることが認められる。成程、法的に要求されている不動産の表示が「地番」であり、右記載のうち「ノ」が不要であるにしても、これら事由により偽造を看破ることができるとはいえない。

また原告は、不動産の表示の方法につき、通常「所在」「地番」「地目」「地積」との言葉を用いず、表示の仕方も「壱弐八五番壱」とすると主張するが、これら事情が偽造文書看破の資料となるとはいえない。

(四)  登録免許税について

〈証拠〉によれば本件の偽造登記済証における登録免許税の価額の表示は、真正なものが四〇万五〇〇〇円であるべきなのに、四〇五万一〇〇〇円とされていることが認められる。右の登録免許税の誤謬は、やや詳細に吟味すれば発見しうるところ、一見して明白に偽造とは判断しえないが、登記手続の厳格性を考慮すると、このような過誤が生じることは稀であることも明らかであるから、この存在が偽造を疑しめる事情の中に含まれるというべきである。

(五)  登記済印の印影について

〈証拠〉によれば、本件の偽造者が、登記済印として模刻した大阪法務局古市出張所の印章は、昭和五四年四月一日以降に同出張所において使用されている印であつて、登記済証の作成当時にはまだ用いられていないことが認められる。しかし、偽造の登記済印の印影と昭和五四年四月一日以降に用いられている印章の印影を比較すると、両者は極めて酷似している上、被告が同出張所管内において、司法書士の業務に長年携つていたとしても、同出張所に用いられる登記済印の供用開始の時期まで記録して対照し、或いは記憶しておかなければならないとは到底考えることができない。従つて、右の誤謬を看過したとしても被告には過失がない。

(六)  抵当権の登記済印について

〈証拠〉によれば、偽造登録済証の末尾には抵当権の登記済印並びに抵当権設定の文字印及び抹消登記済の文字印があること及び右登記済印及び抵当権設定の文字印は、本件土地に対する大蔵省を抵当権者とし相続による相続税及び利子税を被担保債権とする抵当権設定契約に基づく抵当権設定登記に対応するものであることが認められる。そして、このような官公署が抵当権設定登記をなす場合、所有者の登記済証の添付は必要ではなく、従つて右各印影が登記済証に顕出されることは通常ありえないと考えられる。ところが、〈証拠〉によれば、岡は本件土地の登記簿騰本乙区欄を検討し、大蔵省による右の抵当権設定登記が抹消されていることは確認したが、登記済証末尾の印影については何ら不審の念を抱かなかつたことが認められる。

司法書士が所有権移転の登記申請をなす場合、目的物件の登記簿の乙区欄の抵当権等担保権又は用益権の登記を検討し、これと登記済証末尾の登記済印を照合し、比較検討しなければならないという義務は、通常存しないものというべきである。しかし、本件におけるように司法書士が本件登記申請にかかる関係書類が場合によれば偽造又は変造ではないかとの疑いを持ちえたときには、その手中にあるはずの登記簿の内容とこれら関係書類殊に最も重要な書類である登記済証の記載とを比較検討することはさして難事とはいえず、これを要請したとしても、司法書士に対し、過酷な義務を課すものではなかろう。そして、これを実行しておれば、「業務に関する法令及び実務に精通」する司法書士が、本件登記済証末尾印影につき疑義を生じさせたものと推認することができる。

しかも、本件の偽造登記済証には、前記のように通常存在しない明白な誤謬が、少なくとも二か所認められることは容易に判明するはずであるところ、これら誤謬は確かに一つ一つ取り上げた場合、些細な事項であるかもしれないが、本件のように重なり合つて存在している場合には、普通以上に登記済証に注意を払うこともまた要請されるといえるであろう。

以上の事情を総合すると、司法書士たる被告又はその事務職員である岡は、本件のように関係書類の偽造を疑わしめるに足りる相当の理由を有している場合に要請される注意を尽くせば、その知識と経験から、本件の登記済証が虚偽のものであることを看破しえたか或いはさらに詳細な調査に及ぶことを期待されるというべきである。しかるに、被告は岡に対し、何らの特別な指示をなすことなく、その結果、岡としても、抵当権の登記済印その他の問題について全く考慮を払うことなく、これらを看過したものであるから、この点において、被告及びその事務員には過失があるものと判断せざるをえない。

五売主の意思確認義務

原告は、被告が司法書士として売主である奥田に対し、登記申請が奥田の意思に基づくものであるか、売主として登場した自称奥田が奥田本人であるか否かを確認すべきであるのにこれを怠つたと主張するので付言するに、前記二において認定した事実によれば、本件の第一の登記義務者である奥田と名乗る人物が、昭和六〇年二月八日、大西、芝辻らとともに被告事務所にあらわれ、奥田本人として登記手続に関与しているのであるから、本件では、司法書士に登記義務者と名乗る者がその本人であることの確認をなすべき注意義務を要求するか否かの問題に帰着する。しかし、本来、右のような本人性の確認は委任者側でなすべきであると考えられる上に、自称奥田は、同月八日の取引において、印鑑登録証明書を持参しているところ、前示甲第一三号証の存在によれば、右印鑑登録証明書は極めて巧妙に偽造されたもので、その様式、文言、刻印等を仔細に観察しても虚偽のものであると判断することは困難であることが認められる。従つて、その際、岡が自称奥田を本人であると考えたことには何ら過失がなく、原告の主張は理由がない。

六損害

以上説示したところからすると、被告は、その事務員において本件登記済証が虚偽のものであることを看過したことにより、これを相当因果関係にある原告の損害を賠償すべきである。

前記二認定の事実によれば、原告は、昭和六〇年二月八日、本件土地売買代金内金として、芝辻らに対し二億二〇〇〇万円(但し、原告が代払いした五六〇万円を控除したので現実には二億一三四〇万円)を、仲介人である江川らに対し仲介費用三〇〇万円を支出し、本件登記手続費用として被告に対し五五〇万円を支払つたことが認められる。右金員の支出は、本件登記済証が真正のものであつて、本件土地の所有権移転登記が有効になされるものと信じた原告が出捐したものであつて、これが無効であることが判明しておれば当然右の金員の支出はなされなかつたであろうことは容易に推認しうる。よつて、右金員合計二億二八五〇万円は被告の前記過失と相当因果関係に立つ損害と認められる。しかし、他方、証人大西喜信の証言によれば、原告は芝辻や江川らから一部の損害金を回収することに成功しており、現在の損害額は一億五五〇〇万円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

七過失相殺

被告の抗弁について判断するに、前記二認定の事実によれば、原告は多年不動産業を営む会社であり、本件取引にあたつた大西も原告の専務として相当の知識経験を有するものであるところ、総額で約四億円、代金の内金支払額でも二億二〇〇〇万円という巨額の取引(原告の年商は六億円程度にすぎない)をなすのであるから、本件土地売買にあたつては、本件土地の売主の意思や権利関係については相当入念な調査をなすべきことが要求されて然るべきである。しかも、本件取引が、奥田から芝辻、芝辻から原告へと順次登記を移転させ、通常行なわれる中間省略登記の形式をとらず、みすみす五〇〇万円以上の余計な費用をかけているなど不審な点がみられるのであるから、右の調査は一層注意深くなされるべきであるといえる。その上、大西は被告から、昭和六〇年二月六日、本件土地に精神病者が居住しているという噂の存在のほか所有者の奥田が本件のように安い価格で売却する理由がないことを伝えられ、慎重に対処するよう求められているにもかかわらず、同業者である仲介人の江川らに対する気兼ねもあつて、江川らの言動のみを軽信して所有者の奥田本人に対する意思確認手続を何らとることなく、やみくもに取引の実行を急ぎ、本件取引が持ち込まれてから一週間も経ない同月八日には、二億二〇〇〇万円の内金の支払いをなしているのであつて、原告は通常払うべき注意を怠つたというにとどまらず、不動産の取引業をなす者としては信じがたい程に軽率であり、重大な落度、怠慢があるといわなければならず、本件の損害の大部分は原告の帰責によるというべきである。さらに、原告は、前記のとおり被告から取引に否定的な忠告がなされていたにもかかわらずこれを無視しているばかりか、被告が入院中であつて、その事務員への連絡も万全ではないという事情を十分知り得るのに、被告から伝えられた奥田に関する情報を被告の事務員らに伝えることなく本件登記の申請を委任し、このため、岡も本件登記済証を深く吟味しなかつたという事情を考慮すると、原告の損害を被告の責任であるとして填補を求めることは一定額を除いて信義則上も許されないと解される。

そこで、被告の負担すべき損害賠償額は、原告の過失その他の事情を斟酌すると、前認定の損害額の九割を過失相殺し、一五五〇万円の限度でこれを認めるのが相当であると思料する。

八結論

以上によれば、被告に対し、損害賠償金一五五〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六〇年五月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言は相当ではないのでこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官森 宏司)

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